昨日は成人の日。
今日の朝は昨日、一昨日の成人式のニュースで持ちきりでしたが、今年の成人はおとなしいのか、大人なのか、大暴れして逮捕なんてニュースは殆んどありませんでした。
大衆心理っていうのは、世の中の状況をそのまま反映するものかもしれません。
この時期、いつも思いだされるのは、自分が二十だったころ。
もう少しすると、2回目の成人式かというくらい遠い日の事になりつつありますが。
あの頃は、バブルも崩壊したものの、バブルの残り香と下がる景気の雰囲気が世の中に入り混じっていました。
私といえば、東京で就職した仕事のつまらなさと、満員電車の混雑(南武線、小田急線、井の頭線と乗り換え、川崎から渋谷や新宿を往復の毎日)と夏の暑さに負け、Uターンし日給の肉体労働をしていた頃でしょうか。
車とゲームと街に飲みに行くしか興味のない日々。
いや、まったくモテズに悶々とした日々
愛別町出身ですが、高校は旭川で既に実家も旭川にあったので、旭川の成人式に。
文化会館で、ゲストは今は亡きポール牧氏。
今では、考えられない肩パッドと太いズボンのスーツで出席。
もちろん、まったくモテナイので適当に騒いで終了。
ただただ子供でした
まあ、周りの皆もそれほど変わらないでしょう。
女にモテル方法を知っていたやつはもう少し楽しかったのだろうか。
なんか適当に生きていましたね。
バブルは崩壊したと言っても、今とは違い仕事も沢山あったし、仕事も嫌なら辞めればいいぐらいに思っていました。
それに比べて、今は適当にしていたら、ちゃんと生きられない。
世の中の流れなので、生きるのが大変なのは若い人に限った話ではありませんが。
こういう時に若い頃を過ごせると、生きる力が強い人が沢山育ちそうです。
反面、落ちこぼれも増えるのかもしれませんが、初めの大衆心理の話じゃないけど、意識の押し上げにはなると思います。
こんな世の中から、何か凄い人が育ってくるのかもしれません。
いつの時代も、若者を導くのは大人の役割です。
見て育つというのもあるでしょうが、周りの状況以上に大きく育つことは難しいでしょう。
自分の状況を大きく超えるには、想像以上の世界をみせる必要があるのです。
私の好きな明治維新には、吉田松陰や勝海舟などの思想家がいました。
彼らがいなければ、坂本龍馬や桂小五郎は時代を超える思想は持てなかったでしょう。
そして、自分達の殻の中で考えることしか出来なかった新撰組の行く末は歴史が証明しました。
当時の若者達にそれほど想いの差があったとは思いません。
彼らにあったのは、自分達の周りの状況の差でした。
現代は情報の時代。
しかし、自分を成長させるスイッチを入れなければ、目にした物を自分の状況に落とし込むことはできません。
身近にメンターを持つことが、人生に大きな差が生まれるでしょう。
こんな時代だからこそ、若者達を正しく導く大人が沢山出てくることを願い、そして、自分もそういう存在になって行きたいものです。
若い頃の私はバカでした。
周りに大きな存在の大人もいませんでした。
夢はないけど、大きな希望がありました。
しかし入る会社、入る会社には、どこにも希望もなく。
でも、だからこそ、こんな時代でも前を向ける今の自分があります。
希望がなくても、次があるのです。
夢を持てなくても、明日がくるのです。
だから、若者は少し気楽に生きてもいいんじゃない。
そして、何かに気づいたら俺について来い!
なんちゃって。
1日遅れましたが、祝成人
したっけの。
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